MISATO TANIGUCHI

Diary

2023年6月27日 この星に生まれ落ちて、私はずっとジョンを探す旅に出ているのだと思う。

オノ・ヨーコと呼ばれていた時があった。
前髪をセンターで分けて、長くて黒い髪に細かくウェーブをかけていた時に、そう呼ばれていた。
「初めてお会いした時、あ、この人ヨーコだ、と思いました。こうしてお話をさせていただくようになって、やっぱりヨーコだ、と思いました。」
私のことをヨーコと呼んでいた人は、以前そのようにお話をしてくれた。

私がヨーコと呼ばれていた時、自分のことが嫌いだった。
特に自分が依存体質なことを自覚していて、だからこそ恋愛というものを極力避けて生きてきた。
それでも人は誰かのことを好きになってしまう生き物で、私もその誰かと出会う度に恋に落ちてきた。
だけどその度に傷ついて、そんなことを繰り返しているうちに「大切な人なんていなくていい」と思うようになっていった。

そんな時にかけられた言葉。
「実里さんは一途で依存っぽいところを含めて、ヨーコなんですよ。だからただ、ジョン・レノンを探せばいいだけの話なんですよ」
私のことをヨーコと呼んでいた人からの言葉だった。
「私はヨーコで、例え依存体質であっても自分のことをむやみに否定しなくていい。そんな自分を受け入れてくれる人、ジョンのような人と出会えばいい。」
とてもシンプルな話だけど「私は私のままでいい」と肯定してもらえた気がして、その言葉に随分と心が軽くなった。
あれから黒くて長かった髪をバッサリ切って、髪色も明るくした。
見た目が変わると同時に不思議と依存体質だった自分からも脱却できたような気がした。
それでも今でも、夜の海に行って泣いてしまう時がある。
この途方もなく広がり続ける夜空を見上げては「私のジョンはどこにいるのだろう」と心細くなってしまう時がある。
それでもきっと、この星のどこかにジョンはいる。
私は私のまま、私にとってのジョンを見つけ出せばいい。

私はヨーコ。いつかきっと、ジョンに出会える。
まだ見ぬジョンの存在が、私のことを強くしてくれている。

2023年3月25日「真っ白な部屋に、花が咲いた日」

真っ白な部屋の中、私たちは外の世界を知ることができない。大部屋に流れるテレビのニュースの情報だけを頼りに、4月に咲く花に思いを馳せていた。ここは閉鎖病棟。外へ出られる窓も、綺麗な植物も何もない、ただ鍵のかかった真っ白な部屋。皆が何かを抱えていて、だけどここにいる理由はあえて誰も聞かない。私たちはその部屋でなるべく心穏やかに、たまに懐かしい歌を一緒に口ずさんで、ただ一日が過ぎていくのを待っていた。テレビの桜前線のニュースで、今週の土日が満開になることを知った。ある昼下がり、3時のおやつを食べる前のことだった。病室の近くにはそれは見事な桜並木があることを、この部屋にいる人たちは誰もが皆知っている。それでも今年も桜の花を見ることを、心のどこかで諦めている。今、外の世界はどうなっているのだろうかと空想する。いつもの長椅子に座って、目を瞑りながら桜の歌を歌ったりもした。「今日は見せたいものがあって」その日、真っ白な部屋に訪れた人がいた。その人は手のひらにギンガムチェックの小さな箱をのせていた。「目を瞑ってて」その人はそう言いながら箱を触った。「目を開けて」その人は箱の中身を見せた。目の前には桜の花びらがあった。それを見た瞬間、私は「わぁ」と思わず歓声をあげた。久しぶりに見た、生きている花の色。こんなに桜の花が美しいと思ったことは今まで一度もなかった。今年見ることを諦めていた桜の花。気がつけばそこにはたくさんの人が集まっていた。本物のその花びらをみて笑って、少しだけ泣いてしまった。私たちは外の世界で悲しみ、傷ついてきた。それでも世界はこんなにも美しいもので溢れているのだと、「むこう側」の世界のことを少し信じてみたくなった。ここは閉鎖病棟。ここにいる人はだれもが皆、それぞれ何かを抱えている。それでも今日は真っ白な部屋に笑顔が咲いた日。桜の花が舞い込んできて、この部屋にもやっと春がやってきた。

2022年12月28日「わたしは晴れ女。」

私が外に出る日はいつも雨が避けてくれる。 今年3月に大学を卒業し、4月から週3、4日程度で働きに出ている。4月から12月末まで、2022年の勤務日数を計算したら約110日。(夏に休職していた期間を入れたらもう少し少ないが)その間出勤時に雨が降ったことが、なんと2日しかない。私が出勤する日は必ずと言っていい程お天気になる。4月から今の職場に勤めはじめて、最初は「いつも晴れるなぁ」ぐらいにしか思っていなかった。しかしそれから6月に入り、梅雨が異常に短かったことを受けて「もしや」と思うようになった。そしていつしか「私には何か特殊な能力があるのでは」と自分を信じて疑わなくなった。このことを帰り道、上司に話した。「今年の梅雨明けが異常に早かったのも、私という生命体がここに存在しているからかもしれないです」と割と真面目に言った。上司は「いや、自分中心に世界が回ってると思ってる?」と若干呆れ気味だったが、何はともあれ自転車通勤をしている私にとって、雨が降らないことは非常に有り難かった。2022年12月28日、本日で仕事を納めてもうすぐ2023年を迎える。2023年はどんな年になるのだろうか。私が晴れ女であることを来年も一年かけて検証してみたいなぁと、そんな些細なことが2023年の訪れを密かに楽しみにさせてくれている。

2022年12月23日 小田のおばちゃんがお亡くなりになったことを知った。 93歳だった。

幼い頃、母に連れられてよく小田のおばちゃんの家に遊びにいっていた。
玄関のチャイムを鳴らすとおばちゃんの家の犬が必ず吠えて、おばちゃんの旦那さんがいつも犬に怒鳴っていた。
その大きな声にドキドキしているとおばちゃんが笑顔で出迎えてくれて「みーちゃんはココアでええんやな?」とおばちゃんはキッチンで暖かいココアを作ってくれた。 タバコの臭いが染み付いた部屋で母とおばちゃんの話を聞きながら、私はちびちびココアを飲んでいた。

小学5年生の時、いじめにあった。
そのことを小田のおばちゃんが知った時、おばちゃんは誰よりも怒ってくれた。
「おばちゃんの家な、昔っから辛い思いをした子がやってくるんや」
「やからみーちゃん、いつでも家に遊びにきてええんやで」
おばちゃんは私にそう言ってくれた。
「くじけないで」という当時話題だった柴田トヨさんの詩集をプレゼントしてくれたのもその時期で、「くじけたらあかんで」とおばちゃんはいつも私にエールを送ってくれた。

「小田のおばちゃん、亡くなったんや」
先日夕飯を食べながら、母がそう言った。
おばちゃんは今年の夏に亡くなっていたこと、私が体調を崩していた関係でそのことをなかなか言い出せなかったこと、母はおばちゃんの話をたくさんしてくれた。
自然と涙が頬を伝っていた。

おばちゃんは施設で最期を迎えた。
新型コロナウイルスの流行前におばちゃんの顔を一度だけ見にいったことがあったが、おばちゃんの体は以前よりも随分小さくなっていた。
あれから大人になった私のことを「みーちゃん」と認識できていないようだったが、おばちゃんは「みーちゃん、あの子にいじめられてるんちゃうか?」と私のことをいつも気にかけてくれていたようだった。

ジャズとビートルズとディズニーが大好きだった小田のおばちゃん。
天国でも大好きなものに囲まれて、タバコを吸いながら笑っているといいな。
おばちゃん、今までたくさんありがとね。
ゆっくり休んでね。

「この途方もない絶望感にも名前があることが救いだ」
女性の生理について、友人はこのように形容した。
排卵日前に気持ちがどうしても落ち込んでしまう彼女は、血液が排出されていることを確認できると安堵するらしい。
「この赤色が、いつか絶望が終わる目印になってくれるから」と彼女は言った。
消えて無くなってしまいたい夜の星に、朝の光を待つ心情と重なった。

終わらないものなんてない。必ず夜は明ける。
その事実に私達は何度救われたことだろうか。

下着の赤色は、いつも私たちを一週間先の未来へとそっと導いてくれる。
あと少しで、朝日は昇る。

2022年9月5日「大好きだった、夏の話」

8月なんて過ぎて良かった。やっとこの呪縛から解放されるのだと思った。二十歳を過ぎたぐらいだろうか。夏の終わりはどうしようもなく、虚しさを覚えてしまう。小学生の時、近所の子たちを家へ呼んで私の誕生日を祝ってくれた、あのケーキが今はもう何処にもないからだろうか。夏をいつも一緒に過ごしていたあの子が、今はもう遠くにいってしまったからだろうか。あの頃当たり前にそこにあった夏は今はもう何処にもなくて、いつも、いつも夏の終わりは「あぁ、こんなはずじゃなかったのにな」と思ってしまう。それでも夏をどうにか捕まえたくて今年は夏の終わり、ひとり海辺で日が沈んでいく様子を観察したりしていた。26年前の8月31日、夏の終わりに生まれた。幼い頃は母が大きなケーキを焼いてくれて、私の生まれた日をお祝いしてくれた。暗闇の中、皆がバースデーソングを歌ってくれて、ケーキのろうそくの火を消す瞬間がたまらなく好きだった。あれから私も歳をとって、26歳になった。あの日から大きくなっただけの体と、何をしても変われない自分がそこにいて、クーラーの効いた部屋、ただ天井を見る。それでも今年の誕生日「こうして生きてお祝いができて良かった」と私に語りかける母の姿を見て、もしかしたらそれだけで良かったのかもしれないと、9月に入って思った。夏が終わる。 2022年のどうしようもなかった夏だ。心にザラザラしたものを抱えながらふと見上げた空は昨日よりも高くなっていて、そっと秋の訪れを感じた。

「また明日ね、に」

なんとなく「今日で命を終わらせたいな」と思ってしまった日でも「また明日ね」と笑顔で手を振ってしまう。“その一歩”をどうにか踏み込まないように、たった今 呼吸を繰り返している事実からなるべく意識を逸らす。私には「明日」を約束した人がいる。「これはきっと悪い夢なんだ」そのことだけを信じて、この世界にたった一人だけの夜を迎える。当たり前のように今日も朝日は昇る。「目覚められた」と自分の指先の感触を何度も確かめて、私の大切な人達がまだ誰も悲しんでいないことに安堵する。「また明日ね」が今日になって、そして「また明日ね」を次の日も、またその次の日も繰り返していく。私はきっと「また明日ね」に救われている。

「職場の柴野さん」

仕事中、眉間に皺を寄せて「すみません、変なこと言っていいですか?」と柴野さん。「どうかされましたか?」と私が聞くと「実は今日、出勤前に飼い犬と遊んでいたらマスクを舐められて。で、今、マスクの中がめちゃくちゃ臭いんです。」とお話された。背が低めで前髪を眉上で揃えている、明るめの茶髪ヘアーの柴野さん。いつもニコニコしていて可愛らしい、”THE 女の子”というような人である。それに加えてとてつもなく丁寧な方で、出勤時の挨拶では「頭がお腹につくのではないか?」というくらい、いつも皆さんに深々とお辞儀をされている。そんな柴野さんなので、犬と戯れている姿が容易に想像できる。犬の口のにおいのするマスクから新しいマスクに取り替えられた柴野さんは晴れやかな顔をしていた。「すっきりしました!ありがとうございます!」と嬉しそうに頬に手をあてていた。柴野さんの笑顔をみて、なんだか私まで嬉しくなった。「犬の居る暮らしはいいなぁ」とぼんやり考えながらまた仕事に戻った。

「おっちゃんと自転車」

昼過ぎに仕事を終えて自転車を漕いでいたら、いつもよりペダルが重かった。後ろの方から変な音がしたので一旦自転車から降りてよく見てみたら、後輪タイヤがパンクしていた。はぁ、とため息をついた。今日はとことんついてない。早く家に帰りたくて無理矢理自転車を漕いでいたが、タイヤが可哀想に思えてきたので自転車を押して歩くことにした。今日は自分自身に余裕がなくて誰に対しても優しくできなかったので、せめてタイヤには優しくあろうとした。途中で自転車屋さんに寄っていつものおっちゃんに修理をお願いした。「釘かなんか踏んだんですかね」と聞くと「場所によってはバラの棘でもパンクするからなぁ」と話してくれた。バラの棘。そんなものでタイヤがパンクをすることに驚いた。それと同時にバラの棘がパンクの理由だったら何だか快く許してしまいそうだな、とも思った。修理は30分程で終わった。「パンクの原因、ワイヤーの端くれやったわ」とおっちゃんは1cmに満たない程の細いワイヤーを私に見せてくれた。それをテープで領収書に貼って「ほれ」と私に渡してくれた。夕方、帰る頃には少し笑顔になっている自分がいることに気づいた。なんでもない会話が人を救う時があるな。そんなことを考えながらおっちゃんが修理してくれた自転車に乗って家へ帰った。

2022年6月3日「扇風機と炬燵」

六月に入り、祖母が扇風機を出す準備をしている。「そろそろ すだれが欲しいなぁ」とも言っていて、夏支度を着々と進めているようだ。しかしそんな我が家はというと、まだ冬から引き続き炬燵が出ている。先日、会話の流れもあって祖母にそのことを話すと「六月に入って何で炬燵が出とるんなん!」と呆れられた。本日の最高気温27度。祖母の意見はごもっともだと思う。それでも少し肌寒い夜に、スイッチは入れずとも炬燵に足を突っ込むと何だか気持ちが良い。季節感がない、とよく言われる。春先、まわりが薄手のコートを羽織っている中、一人だけダウンコートを着ていたりする。服を選ぶのは難しい。特に季節の変わり目なんかは私にとってハードルが高すぎる。周りを見渡し自分のちぐはぐな格好に恥ずかしくなり、家へ帰りたくなる日がこれまで何度かあった。季節感のない私。季節感のない家族。こんな調子なので我が家の炬燵が片付けられる日はまだ遠い、そんな気がしている。それでも炬燵はただそこに在るだけでなんだか幸せな気分になる。そんな訳でもうしばらく炬燵にはお世話になろうと思う。

「おばあちゃん家の猫」

おばあちゃん家の猫が死んだ。いつもは魚のにおいがプンとするのに、その日は食べたものを吐いてしまったせいか、胃酸の酸っぱいにおいがした。グッタリとした体を撫でたらその胃酸が手について、なんとなく「あぁ、もうダメなんだな」と思った。その手についた酸っぱいにおいが忘れられなくて夜が明けた。猫はその日のうちに死んでしまった。ちょっと太っていて、まるまるとした猫だった。もともとは捨て猫でご近所さんが拾って育てていたけれど、気がつけばおばあちゃんの家に住み着いてしまっていた。皆に「ぶーにゃん、ぶーにゃん」と呼ばれ可愛がられていた。猫はキャットフードを食べていたが、晩年は魚を食べて過ごした。3匹300円のパックされたカマスやアジ。スーパーで購入し、よくおばあちゃんの家に持っていっていた。その魚を焼いてあげると、はやくはやくと言わんばかりにキッチンにすぐさま近寄り、いつもペロリと平らげていた。そんな猫が死んでもう6年。スーパーにふらっと立ち寄った時にパックされた地魚が目につき、ふと思い出してしまった。そうだ、今日の晩御飯は魚にしよう。久しぶりに家で猫の話でもしてみようかな。ねぇ、ぶーにゃん、みんな元気にしているよ。ぶーにゃんも天国で元気にしてるかな。帰り道、あたりはもうすっかり暗くなっていた。どこかの家から魚の焼けるにおいがした。

「植物の人/3月上旬」

「こちらは気候も植物も大分春めいてきて、梅のつぼみも咲き始めているのですが、そちらはまだ雪に包まれている景色でしょうか?」植物の人からのメッセージを受け取り、私は急いでカーテンを開けた。二重サッシにできなかった、アトリエの結露した窓ガラスの向こう側。残雪の中、梅の木に微かなつぼみの膨らみを見た。「こちらはまだ雪が残ってますが、梅のつぼみが膨らんでます」植物の人にそう返信をし、もう一度窓の外に目をやった。まだ会ったことがない人の体温を、梅のつぼみから感じた。植物の人が住んでいる街では、もう春がやってきている。私の住んでいる街にも、もうすぐ春がくる。

2022年2月11日「やさいかりんとうなニット」

母がやさいかりんとうのようなニットを着ていた。「美味しそうだね〜」と笑いながらいうと、「その笑い方ちょっと気持ち悪いからやめて」と言われた。テレビのニュースでは北京オリンピックの速報がやっていた。それを脇見に家族でほうとうを食べていた。そんな昼下がり。昼食後食器を台所へ運び、片付ける前に私はあるとても大切なことに気づいてしまった。私は「やさいかりんとう」と口で言いながら、頭では「サッポロポテトつぶつぶベジタブル」を思い浮かべていたことを。やさいかりんとうとサッポロポテトつぶつぶベジタブルは似ている。特に形。だが圧倒的に違うのは「色の粒がまばらにあるかどうか」だ。やさいかりんとうにはそれがない。サッポロポテトつぶつぶベジタブルにはそれがある。母のニットは断然後者だ。だからやっぱりサッポロポテトつぶつぶベジタブル、なのだ。やさいかりんとうではないことがわかってしまった。どうでもいいが少し悔しい。記憶の入れ違いみたいなものが人生において多々ある。話をしている中で相手を「?」とさせてしまうことがある。どれも記憶の入れ違いからくるものである。大切な人に言われた大切な言葉だって、一言一句覚えていない。記憶はいつも朧げで、「大切だ」ということだけが残っている。だからこそ良いのかもしれないが、だけどやっぱり残したい、記憶を閉じ込めたいと思ってしまう。だから私はこうして絵を描いたり言葉を紡いだりしているのかもしれないと少し思った。久しぶりにサッポロポテトつぶつぶベジタブルが食べたくなった。

2022年2月10日「永遠なんてものは」

いつか壊れてしまうことに対する恐れを常に抱えている。 いつか割れてしまうことが怖くて、あえてお気に入りのお皿に出会おうと思わない。いいと思ったものは大体儚くて、手にしたときに割れてしまうのではないかとドキドキする。だから安易に触れたくない。 永遠なんてものはこの世に存在しない。でも永遠というものをずっと探している。だからおさないひかりさんの詩の一節に触れて、私は泣いたりもした。 先日とある展示をみた。その中に「繊細でいいこと」と題して、作家自身が購入した焼き物の指輪が展示されてあった。「これはどこかにぶつけるだけで割れてしまう指輪だ」という説明を受け、それでも作家はそのことを承知で指輪を購入したそうだ。「指輪をきっかけにものを意識する生き方に関心をもった」とコメントしていた。そして「その指輪が割れなかったら一日を丁寧に過ごした証明になる」ともコメントしていた。 その展示をみて私の心は揺さぶられた。私には今までそのような感覚がなかったからだ。いつか壊れてしまう危うさを抱えたまま生活なんてしたくなかった。なぜならいつも不安だから。壊れてしまったもの、欠けてしまったお気に入りのマグカップを見て、「こんなに悲しいのなら最初からなくてもよかった」と思っていた。 その作家はその指輪の展示に加え「壊すコミュニケーション」と題し、一度も使っていなかったお皿を自らの手で壊し、その破片を継ぎ直すということを試みていた。金で継ぎ直されたお皿はとても美しかった。 壊れてしまったものはもう元には戻らない。だけど、元通りにはならなくても、何か別のものになる可能性を秘めているかもしれない。もしかしたら私があの日壊してしまった人間関係も、いつか何かの拍子に修復できるかも知れない。そんな淡い夢をみてしまった。 人生は今のところとても長い。今なら何だってできるかもしれない。まずはお気に入りのお皿を探すことから始めてみようと思った。